【Netflix】衝撃のラスト!傑作の青春群像劇『横道世之介』感想・考察※ネタバレ有

 

横道世之介

横道世之介

 

 2013年公開

2時間40分

★★★★☆

『横道世之介』

あるまっすぐな青年の一生を描いた、切ないヒューマンドラマ。

心温まるシーンもあれば、胸を締め付けられるシーンもあり、気づけばあっという間に2時間40分である。

主人公世之介のまっすぐすぎる行動にハラハラさせられたり、健気さに頑張れと応援してくなる。そして、見ている途中でいつの間にか世之介のことを好きになる。

だからこそ、堪らなく切ない印象があった。

時々ふとした瞬間に世之介のことを思い出してしまうような、心に残る一作である。

忙しない世の中、優しい気持ちになりたい人におすすめ。

この映画は1980年代、横道世之介(高良健吾)という青年が長崎から上京してからの大学生活(過去)と、16年後(現在)の2つの時間が同時並行で進んでいく。ラストはこの物語のヒロイン与謝野祥子(吉高由里子)の現在に繋がって終幕する。

群像劇という不特定多数の登場人物がストーリーを展開していく手法を用いられており、世之介だけが主人公だけではなく、世之介と出会った人々の人生にも焦点が当てられている。

見どころは、1980年代を表現するためにブラウン管テレビで見ているような画質、建物、部屋の中、人々の服装・髪型・メイクなど様々なセットである。

高度経済成長を経て豊かになった日本のその時代を知らない人にも、懐かしく感じさせる。

あらすじと登場人物

横道世之介(高良健吾)

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長崎出身。

大学は東京の経営学部に進学。

裏表がなく、思いやりがあって優しい。正直で鈍感すぎるくらい素直。

不器用だけどまっすぐな青年。

 

倉持(池松壮亮)と唯(朝倉あき)

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大学の入学式で知り合い、3人はサンバサークルに入る。

お調子者でデリカシーの無い倉持と、それを嫌っていた唯。

しばらくして、世之介は二人はある事情により大学を辞めたことを知る。

加藤(綾野剛)

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大学の講義終了後に世之介から一方的に話しかけられた加藤。

ミステリアスな加藤、バカ正直な世之介。

正反対の二人であるが、妙な信頼関係が生まれ、加藤は世之介にある秘密を打ち明ける。

千春(伊藤歩)

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カフェで一目惚れした、世之介が憧れる女性。

パーティーガールである華やかでセクシーな年上の千春は、まっすぐな恋心を向ける年下の世之介を全く相手にしない。

与謝野祥子(吉高由里子)

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加藤が誘われたダブルデートで知り合った超お嬢様の祥子。

お嬢様育ち祥子にとって、世之介は物珍しく興味深い。

世之介へ一方的に恋愛感情をもち、猛アタックする。 

以下ネタバレがあります。 

 

それぞれの16年後※ネタバレ

倉持と唯が大学をやめてしまう理由は、妊娠である。

なお、唯の出産の際には世之介も立ち会い祝福した。

16年後の現在、思春期の娘を育てる、仲睦まじい夫婦である。

世之介とはあまり連絡を取っていないようで、たまたま唯が大学の前を仕事で通った時に思い出した、倉持と楽しそうに話す。

加藤の秘密、それはゲイであることだった。

16年後の現在は、パートナー(男)とともに都心の高級マンションでお酒を飲んでいる。愛する人と過ごしている加藤は幸せそうだ。

通りがかりの人が世之介に似ていたことから、世之介を思い出した。

大学時代唯一いた面白い奴だったと笑いながら話す。

千春はパーティーガール時代とは一変し、落ち着いた女性になっていた。

16年後の現在は、ラジオのパーソナリティーをしている。

ある日、残酷なニュースが飛び込んでくる。

重い口を開くように千春は速報を読む。

「今日午後5時ごろ、山手線で起きた人身事後の速報です。

ホームから転落した女性を助けるため、線路へ飛び降りた男性は、

韓国人留学生パクスンジュンさん26歳と、

カメラマン横道世之介さん35歳と判明しました。

3人は近くの病院へ搬送されましたが、その後死亡が確認されました」

与謝野祥子は世之介と付き合うようになった。

世之介の実家がある長崎に旅行へ行った時、将来を決定づける事件と遭遇する。

真夜中の海辺で世之介と2人で話をしていた時、ボートピープルという紛争などにより難民として逃げ出した外国の人々が警察に追われている。

ボートピープルのうち1人の女性がぐったりした赤ちゃんを抱えて、祥子の元へ駆け寄る。祥子はどうすればいいのか分からず赤ちゃんを受け取った。

女性は警察に捕まり、赤ちゃんはその後病院で治療されたとのこと。

突然のことであったが、祥子は何もできない無力さを思い知った。

16年後の現在、祥子はアフリカで支援をしている(恐らくNPO)。

久々に帰った東京のタクシーから外を見ると横断歩道を歩く2人が、16年前の世之介と祥子の2人と重なる。

世之介と過ごした日々を思い出し微笑みながら涙ぐむ祥子。

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考察※ネタバレ

世之介の事故について

2001年新大久保駅乗客転落事故がモデルになっている。

泥酔した男性が線路に落ちて、それを助けようとした韓国人留学生と日本人カメラマンの3人がなくなった事故である。

途中から、世之介の16年後が全く出てこないところから違和感を感じる。

その違和感の正体は新大久保駅乗客転落事故がモデルとなった、世之介の死であった。

朗らかにまっすぐ生きていた世之介は16年後、この世に存在していなかった。

ではなぜ、この作品で世之介は死ななくてはならなかったのか。

 

メメントモリというメッセージ

ラテン語で「死を忘れるなかれ」という警句。

よく、文学や映画で主題とされてきたのがメメントモリである。

この映画では「死を忘れるなかれ」=「後悔しない毎日を送っているか」と世之介の生き方から学ばされる。

死んでしまった世之介に対し、悲しいという感情は当然あるが、世之介と出会えたことに感謝し、幸せな思い出として16年後のそれぞれの人生に生き続けている。

また、この映画のエンディングはASIAN KUNG-FU GENERATIONの「今を生きて」である。


事故に対するやり切れなさ

泥酔した男を助けたいと思って自ら線路に飛び込んだこと、それによって誰一人助かることなく悲劇となった事故から、作者が感じたやり切れなさを表現しているのではないだろうか。

物語では正義感を持って正しい行いをすればみんなが救われる展開が多いが、現実の世界ではそうはいかなかった。

不慮の死に対して、なぜあんなにいい人が若いうちに亡くなってしまうのかという問いは無意味であり、納得できる答えなどないのだ。

他人のために自分の命を危険にされしてまで助けようとした世之介のモデルとなった男性は、世之介のように誰かにキラキラした微かな暖かさを与えた人物であったに違いない、そういった事故に対する悲しみや苦しみの感情を慰めるため「横道世之介」という作品が出来上がったのではないか。

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