昨日より自由になるために今日を生きる / 森博嗣「自由をつくる 自在に生きる」
フジワラヨシトです。
質問です。
「もし、お金と時間とスキルが十分にあるとしたら、あなたは何をして毎日を過ごしますか?」
しっかりと具体的に想像してみてください。
答えられなかった人も心配ありません。
森博嗣の「自由をつくる自在に生きる」を読んでください。
人生の目的は自由だ
自由というのは、「自分の思いどおりになること」である。自由であるためには、まず「思う」ことがなければならない。次に、その思いのとおりに「行動」あるいは「思考」すること、この結果として「思ったとおりにできた」という満足を感じる。その感覚が「自由」なのだ。
自由とは自分の思いどおりになることです。
思いどおりとは、思う→行動or思考
この矢印の部分に障害がない状態です。
結論からさきに書くと、「人生の目的は自由だ」と僕は考えている。自由を獲得するために、僕は生きている。少なくとも、今は本気でそう考えているのである。
その自由を求めていくことが人生です。
僕は自由が少しずつ増えていることを実感しています。
小学生のときは自転車で行ける範囲が決まっていました。
お金も月に数百円のお小遣いしかありませんでしたので、コロコロコミックと駄菓子で使い切ってしまいます。
しかし、現在は車でどこまででも行けます。
お金も好きなだけ(駄菓子なら)食べれるくらい持っています。
確実に昔より今が自由です。
自由になるために
でも、まだまだ不自由を感じることは多いです。
この支配から「抜け出す」というイメージが問題だと思う。「支配」という言葉を使っているから、自然にそこから「逃げる」という表現になってしまうのは仕方がないにしても、そういった後ろへ下がるイメージは不適切だと感じる。
実は、もっと積極的な方向なのだ。逃げて遠ざかるのではなく、そちらへ歩み寄る、近づく、乗り越える、といった方がいい。
例えばショパンの「革命のエチュード」を辻井伸行さんのようにピアノで弾きたいと思ったとします。でも弾けない。そりゃそうです。
辻井さんみたいにピアノを弾きたい→弾けない
この矢印には思いどおりにならない壁があります。
不自由な状況から逃げてしまっては、自由になることはできません。積極的に、この場合はピアノを練習することによって、想いを鍵盤に乗せて「自由に」演奏をすることができるようになります。
これが乗り越えるイメージです。
大した苦労ではない。毎日少しずつ、自分の決めたことを実行するだけだ。例えば、起きたいと思った時間に起き、しようと決めたことをする、というだけである。このように自在に生活できれば、すでに自由の一部は実現している。計画さえあれば前進できる。
自分で今日はここまで練習しようと決め、それを達成します。自由になるために来る日も来る日も練習します。
地道にピアノを練習している時間は、決して不自由なわけではありません。自由へ少しずつ近いづいていると思えるため、そこには楽しさがあります。
あなたの夢はなにか
その人が見た夢よりも素晴らしい現実は絶対に訪れないのである。すべては本人の想定内、といって間違いない。
はじめにもあったとおり、自由になるためには、まず「思う」ことが必要です。
何をしているときが楽しいのか、何がしたいのか、夢はなにか。
この「思う」部分をどこまでも自由に想像するところから、本当の自由のへの道のりが始まります。
もしお金と時間とスキルが十分にあるとしたら、あなたは何をして毎日を過ごしますか?
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